貸金業の誕生

利息を取っての貸金業的な商売は、貨幣が使われるようになる前からあったとのことです。農業中心の経済で、物々交換が主だったころからです。メソポタミア文明の頃には、麦の貸し付けが行われていたという記録があるようです。貨幣が使われだすと、いわゆる金貸し業も誕生しました。これはよく言われる「売春」などに次いで、日本最古の職業であるといわれています。

日本では8世紀ごろには米の貸付けが行われていました。その後平安時代には、お寺が無担保で高金利の貸金業を行っていたということです。それがお寺の資金にもなっていました。鎌倉から室町時代には、現代の質屋にあたるものが誕生しました。着物などのモノを担保として預かり、それに応じたお金を貸す商売です。そのころは「土倉」と呼ばれ、江戸時代にかけては庶民の金融の中心でした。あの歴史上の大商人である三井財閥の創始者が江戸に出て開いたのが越後屋呉服店。現在の三越です。彼も呉服店を開く前は質草を取って質屋をやっていたそうですよ。もちろん貸付利息も取っていました。当時の金利は月1.5%〜2%ぐらいだったそうです。

当時の質屋は、庶民のための金融機関であり、生活に必要な当座のお金を借りるためにナベ・カマなど生活用品まで質草にして小金を借り、その日のうちに請け出すこともよくあることだったそうです。しかも利子は月利で計算されたために、質屋にとっても結構な収入となり、ずいぶんと数も増えたという事です。

やがて庶民でも銀行でお金が借りられるようになり、社会保障制度も発達して低所得者への救援制度もできてきました。今ではインターネットで無担保でお金を借りられるようになるなど、質屋業は激減していますし、質草も貴金属などが主流になっているとのことです。そして質屋に代わって誕生してきたのが「消費者金融」です。