金利の歴史

まだ貨幣が流通せずに物々交換を行っていたころから、すでに「利息」という概念はありました。この概念は「金儲け」という認識を生み、「商売」の原点とも言えますね。なるほど、お金がお金を生んでいるのですね。そもそも「利息」や「利子」という言葉は、「利を生む子供」という意味だそうです。これには人間の「欲」と同時に「先を読む力」といったものも含まれていますね。なぜなら、物を預かってもそれを預かった時と同じ状態で返すのは大変です。腐ったり、枯れたりするかもしれません。その管理には大変な手間と責任が必要となります。お金を預かっても、それを返還する時には世の中の経済状態や、お金の価値が変わっているかもしれません。戦争が起こるかもしれません。預かる側がこれから先に起こるかもしれないリスクを考えて、「利息」をつけたのだということです。

昔はキリスト教でもユダヤ教でもイスラム教でも、「利息をとる」という行為は恥ずべきもので禁止していたと言います。大昔、ギリシャのアリストテレスは「憎むべきは高利貸し」と言ったとか、「貨幣が貨幣を生むという事は自然の摂理に反している」と言ったとか。こういう言葉が残っているという事は、アリストテレスの時代にはすでに高利貸しがいて、それに苦しむ人々もいたという事ですね。「利息」は働かないで得るお金と捉えていたようです。けれどもどうも、「同胞」にかぎっては禁止するが異教徒には利息を取ることを許し、その収益の一部は徴収するなど、抜け道的な部分はあったようです。イスラム教は今でも「利息」は表向き禁止しているようですが、「手数料」などと呼び名を変えて同様のことを行っているとか。さらにキリストを売った民族として弾圧を受けたユダヤ人は、この忌み嫌われた職業につき、現在、世界の金融にもっとも影響力を持つと言われるロスチャイルド家の人々が現れました。

日本ではどうかと言えば、最古で750年ごろには利息に当たるものが施行されていました。稲を貸し付け、利息分を足して返還させる制度がありました。これは一種の税金のようなもので、利率は今で言ったら5割とか10割とかの高利をとっていたようです。天候によって収穫が少ない時などは利息を払えず、こっそり逃げ出す人達も出現して、すでにこの頃には「夜逃げ」があったということです。江戸時代には「両替商」という金融業の先駆けと言える商売がはじまりました。そのころの年利は10%前後〜20%と、やはり高利でした。このころには物品を担保にお金を貸す「質屋」なども現れました。明治10年になって、初めて「利息制限法」ができ、これは金利の上限を法律によって定めたものでした。